フラダンスの歴史(起源)について

当ページでは、フラダンスの歴史や起源についてのまとめページです。いつどのような形でフラダンスは始まったのでしょうか?日頃このような商売をしていても、我々もまた知りえない事が多々あり、フラダンスの世界というのは本当に奥深い文化と様相を持っていると感じています。



ここで記す事は主にハワイやアメリカ(英語表記)のフラダンス関連のサイトに書かれている事を簡単にまとめたものです。一概に言えない面も多々あるようなので、一つの話としてお読みいただければ、と思っております。



フラダンスの起源とその歴史についてのまとめ

先ずここでお話ししなければならないのは、フラとはハワイ語で『ダンス(踊り)』の意味を含んでいるので、フラダンスというのは正確には間違えになります。


当サイトでは逢えて分かりやすいように『フラダンス』と明記しておりますが、正確には『フラ』が正しいです。

当ページではフラの起源やフラの歴史について当店が独自でリサーチした事をまとめさせていただきます。


フラダンスの起源

火の神ペレ
フラダンスとは、人の声(チャントや歌)とスムーズな体によるジェスチャーをする伝統的な芸術です。


古来ハワイにおいてフラダンスは、火山の神(火の神)ペレ(Pele)に捧げる踊りとして始まったとされています。フラダンスの女神とされているのはラカ(Laka)であるともされていますが、火の神ペレの妹であるヒイアカ(Hi'iaka)がペレの怒りを鎮める為に元来始めた踊りがフラダンスの始まりであるとされています。


女神ラカは、人々から祈りを捧げられ、時にはフラダンサーからレイ(首飾り)を捧げられ、そして賞賛されてきましたが、それらはより現代に近い時代になってからのことであるとも言われています。 しかし古来ハワイでは、文字という概念がなく、言葉だけで伝えられてきた歴史でもあるので、さまざまな神話や話が存在するのもまた事実です。


但し、メレ(Mele:ハワイ語で歌)は良くヒイアカやペレの話について歌っている事が多いは事実です。 フラダンスが始まる際には、男たちによってチャント(=メレ)が唱えられます。男たちがメレを歌い、そして女のダンサーたちがそれらメレを体で表現していたのもまた古来ハワイでのフラダンスであったようです。 メレの楽器には、サメの皮でできたドラムを叩いたり、ヒョウタンを叩いていたとされています。


また身に着けていた衣装は草で編まれたものではなく、女性はタパと呼ばれる桑の木の皮を叩いて布状にしたものを体に巻きつけ、男性は同じくタパをふんどしのようにして身に着けていたとされています。今日ではレイやブレスレットそしてネックレスをフラダンスの際には身に着けることがありますが、当時は女神ラカへ捧げるために祭壇に祭られていたとされています。


フラダンスは儀式以上の意味を持っており、また古来ハワイの人々の文化や生活様式などの歴史を後世に伝える為の行為でもあったとされています。 しかしこれらも実際文字のないハワイの人々の間で語り継がれてきたものであり、実際に正確な記録が残ってはおらず、特に19世紀初頭に来島したアメリカのプロテスタント宣教師らによってフラダンスが禁止された後、多くの歴史は失われていきました。


但し、ハワイの人々がマーケサス諸島やタヒチからやってきたことは確かであり、フラダンスもまたこれら土地からポリネシアン達が受け継いできたものであることは確かなようです。


『Ha'a(ハアア)』=フラダンス

マスク・パドラー(ハワイの絵画)
19世紀に入って『フラ』と呼ばれる前、フラダンスは、『Ha'a(ハアア)』と古来ハワイでは呼ばれていたようです。


1820年にキリスト教の宣教師たちはハワイに到着し、人々の多くをキリスト教に改宗させました。彼ら宣教師は低俗に見えるこのHa'aの儀式を禁止し、そして当時女王であったカアフマヌ(Ka'ahumanu)女王は女神ラカを祭っていた祭壇を破壊しました。 そしてフラダンスはしばらくの間表舞台から消え去ってしまうのです。


その後カメハメハ大王3世が1830年代に宗教の自由を主張しフラダンスを表舞台に戻そうと努力しましたが、あまりうまくはいかなかったとされています。当時宣教師達は、ハイネックと長袖のドレスを着る事を条件にフラダンスを踊る事を許可したとされています。


そして1974年から1891年まで即位したハワイ王朝最後の王とされる、デイビッド・カラカウア大王は、フラダンスを儀式的な面にウェイトを置かずに、西洋の文化を取り入れつつ、華麗なコスチューム(ドレス)を着て歌を歌い踊るという、より舞踊的なパフォーマンスという方向にフラダンスを導いていきます。 これは少しでもフラダンスの文化を持続させていきたいという王様の願いでもあったとされています。


陽気な王様(メリーモナーク)と言われていたカラカウア大王は、旅行が好きでそしてフラをフェスティバル(お祭り)の一環として取り入れ、カラカウア大王を讃える踊りとしてのフラダンスを賞賛しました。


一説によるとこのようなフェスティバルで踊られるフラダンスは、宣教師への不満や文句を歌いながら、笑顔をフラダンスを踊っていたともされているそうで、もしかしたらこのような事が今日アウアナで笑顔を絶やさずに踊るフラダンスに繋がっているのかもしれません。


カラカウア大王の来日

アウアナを踊るフラダンサー
余談ですが、ハワイ王朝最後の王様であったカラカウア大王が日本に来日した事は有名です。


一説によると崩壊していくハワイ王朝を危惧し、その頃小さな領土しか持っていないのに列強国と戦っていた日本と同盟を組み、そして日本の天皇と自分の娘を結婚させようと考えていたとされています。


この話は結果的にうまくは行きませんでしたが、しかし来日中に訪れた群馬県渋川市の伊香保(温泉郷)の風景が自分の住んでいるハワイと似ている事をとても気に入り、実は別荘として家を購入したそうです。今日でも伊香保にはこの別荘が残されており、そしてハワイ島人と渋川市は姉妹都市契約を結んでいます。またこの頃より日本からハワイへの移民も開始されたそうです。


これが故に年に一度4月にハワイ島ヒロで開催されるカラカウア大王を讃え、そしてフラダンスの文化を守っていくことの一環として行われる、故ジョージ・ナオペ氏によって始められた、ハワイ最大級のフラダンスの祭典『ザ・メリーモナーク・フェスティバル』の舞台で優勝したチームは、毎年伊香保にて開催される、伊香保ハワイアンフェスティバル(キング・カラカウア・ザ・メリーモナーク・フェスティバル)に招待され、日本の伊香保の舞台でフラダンス・ショーを開催する事が恒例となっています。※実は当店ムームーママも当フェスティバルには毎年物販として参加させて頂いております(1996年から始まったフェスティバルです)。

このように日本とハワイというのは、ハワイ王朝の時代から繋がっています。


カヒコとアウアナ

その後ハワイが観光都市化されていく中で、アメリカのハリウッドがフラダンスを間違った観点から描き、それを世界に広めていってしまいます。


20世紀中頃には、フラダンスはより商業化されていき、そして新しい楽器としてギターやウクレレが用いられることにもなります。


しかし1970年に入り、再度フラダンスは古来ハワイの人々の儀式という面に着目し再確立されていく事になります。


今日行われるフラダンスは主に2つに分かれています。 それはキリスト教宣教師らによって迫害されていた間に発展してきた現代フラと呼ばれる『アウアナ』スタイル。そしてもう一方が古典フラと呼ばれる『カヒコ』になります。


アウアナはハワイの外からの影響を強く受けたフラダンスではあるけれど、それはよりパフォーマンスという面で見ていても美しく人を魅了するダンスでもあります。一方で、カヒコは古来ハワイからの言い伝えや神に捧げる踊り、自然を象徴とする踊りもまた今日の人々に深く感銘を与える踊りでもあります。